グローバル主義の本質(2)
そもそも欧米型の思想というのは「階級社会」を前提としているところがあって、エリートは高い所得を得るにふさわしい、という発想を持っているのよ。
だから、エリート達が上手に大衆を支配し、搾取することが可能な仕組みやルールを作るために打ち立てた脚本が「新自由主義」の根幹にあるのだと思うわ。
「新自由主義」は、個人の自由な活動を優先することで、経済が活性化し、誰にでも夢を実現するチャンスが訪れるという、一見、筋が通った理屈に見えるけれども、実際はどういうわけか不平等な格差が広がり続けているの。
これって何故だと思う?
理由は、エリートは「より多くの情報を持っている」からよ。より多くの情報を持っている方が、商取引を有利に進め、より大きな利益を上げることができるの。
今の社会の仕組みは、
「情報強者=稼ぐ人、成功する人 情報弱者=貧困にあえぐ人、上手くいかない人」という構図が鮮明になっているの。
ひょっとしたら高い教育を受けたい、という思いもここに由来しているのかしら?
分かりやすい例えとして、株式の売買だってそうでしょう?
上がるという確実な情報を手にしていれば、それを前もって購入することで利得を増やすことができる。逆に、下がるという確実な情報を手にしていれば、それを前もって売り抜けることができる。ところが、不確実な情報しか持っていない人は、損をする可能性が高くなるわ。
そういう視点で言えば、マーケットに全てを委ねるとか、自由競争こそが最善の方法だ、という考えは「危ない」という結論に至るわね。
だって、能力のあるエリート、もしくはお金を自由に操れる人達にとって、マーケットや自由競争は、「大衆を支配するための便利な道具」になっているからなの。
彼らはグローバル資本主義を広めることで、一般大衆が幸福になれることを必ずしも望んでいないし、自分さえ儲かれば良いと考えていたのね。
1990年代に発展してきたグローバル資本主義は、二つの要素から成り立っているの。それは、ズバリ金融とITのコラボレーションよ。
ごく一部の富裕層だけが経済的恩恵を授かるグローバル化にとって、金融業界とIT産業はとても相性の良い組み合わせだったの。
それは、製造業のように特定の土地に縛られたり、原材料を必要とすることもなく、国境を簡単に越えて活動できるからよ。
このため、景気循環のサイクルを克服して長期間の経済成長が可能だと信じられるようになったわ。
これをアメリカでは「ニューエコノミー論」とかいって大いに歓迎されたわ。この頃からはっきりと、アメリカは地道にコツコツと物を作って販売するという仕事のやり方を止めていったの。
金融とITの技術を駆使して、ひたすらマネーの増殖を求めるようになったの。その代業が、「ゴールドマン・サックス」や「モルガン・スタンレー」など投資銀行の経営手法よ。
マーケットが活況の時は、面白いほどに物事が計画通りに進むので、彼らは色んなレポートを公表して、「近未来に対する予測・予言」を行ってきたわ。
原油価格の高騰もBRICs諸国の成長もその中に含まれているの。
投資銀行は、実際にこれらの市場に大きなお金を投資し、それに煽られた人達が市場に参加し続けることで、「予測・予言が実現化する」という結果をもたらしてきたわ。まるで有名な占い師が胴元みたいな感じよね。
そして莫大な収益を手に入れ、新しいビジネスモデルとして確立されるようになったの。
元手の資金を使って、その何倍もの投資を行う「レバレッジ型経営」は、自らの提言する予測・予言が当たっているうちは、巨大な富を手に入れることができるのだけど、昨今の金融危機のように、結局は行き詰ってしまったの。
その理由はいくつかあるけれども、一つには金融市場が大きくなりすぎて、怪物化してしまい、制御不能となってしまったことが大きいわ。
思うがままに市場を操っているつもりが、想定外の事態が起こった場合に対処ができなくなり、その市場規模の大きさによって翻弄されてしまうことになったの。
例えば、「そんなことが起こるわけがない」と思っていた出来事が実際に起こってしまい、心理的動揺が広がって収拾がつかなくなったのが、2008年9月のリーマン・ショックよ。
金融の世界で最も大切なのは、「信用創造力」だわ。住宅、不動産、証券、債権や車の購入といった大きな買い物をする時に求められるのは、何といっても「信用力」よ。
そこに何らかの「信用創造力」が付与されていると、借り手がローンを組んだり、貸し手がお金を融通しやすくなるの。
ところが「起こるわけがない」事態が起こってしまうと、信用力が収縮し、お金の流れが滞ってしまうの。特にお金を貸す側の立場は、貸した相手にその返済が出来ないリスクがあると判断すると貸し渋りが生じるよね。
「レバレッジ型経営」を行う投資銀行は、自分の思い通りに物事が動いている間は、「信用創造力」をいくらでも膨らますことができるのだけれど、一旦それが行き詰ると途端に脆くなってしまうの。
情報強者、情報発信者による未来予想は、「突発的で不意の要素にとても弱い」のが、大きな特徴よ。
それから、グローバル資本主義には、実体経済とはかけ離れたところで、取引が行われるという欠点があるわ。
一国の政策では、コントロールできない程にマネーが膨れ上がってしまったので、その暴走を食い止めるような仕組みがぜひ必要なの。
でないと、リーマンショック前の2008年7月の原油価格(1バレル=147ドルのように、適正価格を大きく踏み外して、物の値段が乱高下することになってしまうわ。つまり、金融市場が、資金を持った特定の人達の「ギャンブルの場」となってしまうの。短期間でどれだけ稼ぐかということにだけ焦点が当たるので、投資よりも投機が優先されてしまうのよ。
その結果、食糧価格が高騰したりして、貧しい国々が大きな代償を払うことになってしまうの。
そういう意味では、ただ儲けたいという欲望を規制し、管理・規制するためのルール作りが求められるわ。これを怠っているとグローバル資本主義は、必ず度を越して破壊的になってしまう。
つまり、「上にも下にも行き過ぎる」のね。その具体例が人々の所得格差の拡大よ。今の日本は労働者の約4割が非正規社員となってしまい、年収200万以下の貧困層は1000万人を超えたと報告されているわ。これはより安い人件費と生産コストの削減を求める企業が、国境を越えて新興国を生産地としたことも影響しているの。
人、モノ、お金が世界から集中した中国や新興国の経済成長は、確かにグローバル資本主義のおかげ。しかし、それは日本をはじめとする先進国の労働者の所得や安定した暮らしを犠牲にした上で成り立っているとすれば、再検討する必要があるわね。
それから環境問題の深刻さもグローバル資本主義の弊害よ。いくら資源を無駄遣いしても、環境を汚染しても、利潤の追求より大切なものを優先したいという「自制心」が働かないの。「もっと、もっとより多くを」という欲望が前面に出てしまい、失うものが逆に大きくなることに気付かなくなるの。。。
以上のことを考えても、無節操なグローバル資本主義は本当に人類に幸福をもたらすものではなさそうね。