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カルマの法則と運命を知ることで、人生の幸福度を高め、生活水準を向上させるパワーが手に入る!




「カルマと運命の法則」についてシェアすることは、日本に住んでいる限り、少し抵抗感が出てきてしまいます。

何故なら、普通に学校で勉強して、なるべく良い大学に受かって、生活に困らない収入を稼げる優良な会社に就職しさえすれば、人生において少なくとも「衣食住」に関する安全欲求の苦しみからは解放されると思ってしまうからです。

だからと言って、「良い大学や立派な企業に入る」ことを推奨している訳ではありません。

この動乱の時代に人生の安定志向という発想は役に立つのか?

そうした日本社会の仕組みに順応して生きる方が、取引先の対人関係であったり、職場の同僚や上司との付き合いであったりと、恵まれているケースが多いのも確かな現実です。

ところが、私がヨーガの教えを学んでいる師匠(インド・チベットなどで本格的に修行された方です)によると、今の日本は便利で快適な部分が目立って表面的に恵まれているだけで、カルマの現象化がオブラートに包まれているだけだ、とおっしゃいます。

確かに、2011年の東日本大震災、2018年の豪雨、台風、地震を考えると、起こるべき時には容赦なくカルマの現象化が起こっている可能性はあります。

また、こうした傾向は、地球温暖化に伴ってさらに激しさを増していくことも十分に考えられます。

ところが、師匠によると、「皆さんが本格的にスピリチュアリティに目覚めれば、幸せな世界が訪れるんですよ」とあたかもお花畑思想のようなことをおっしゃいます。

とは言え、心理学の世界では、外面は内面に倣う投影の法則があり、量子物理学の世界では、観測するという行為が観測する対象の結果に影響をもたらす、ということがごく自然な見解となっています。

そこで、改めて、古来より伝わるインドのヒンドゥー教あるいは、チベット仏教の思想について、述べていきたいと思います。

特定の主義信条の押し付けをするつもりは一切ありませんので、「あれ?おかしいな?」と感じることがあれば、それ以上は読み進めることは控えてください。

インドやチベットでは、カルマの法則と運命は当たり前の思想だった

という前提条件の基で、カルマの法則と運命についてお話していきたいと思います。

古来、インドやチベットでは内面世界の探求に時間を費やしていた聖者と呼ばれる方々がいました。

彼らは、聖賢(リシ)と呼ばれることもあります。※現在も聖者クラスの方々は実存しています。

意識を浄化するための多くの修行を行い、深い瞑想状態に入って、宇宙の意識とつながるレベルにまで到達することのできた聖者達が、最初に発見したことは、この宇宙全体は「原因と結果」の法則によってコントロールされていることでした。

「原因と結果」の法則は、過去のカルマ(行動・行為=作用)が原因として、未来(運命=反作用)の結果に反映されるというものです。

例えば、あるボールを凹ませれば、その作用に対する反作用が働き、凹んだボールは元の形に戻ろうとします。

1.作用とは、他のものに力を及ぼして影響を与えること。

2.反作用とは、ある物体に力が働くとき、力を及ぼしたものに、同じ大きさで正反対の方向に働き返す力のこと。

これこそが、「原因と結果」の法則と呼ばれるものです。

そのため、自分が何かを行えば、やがて自分に向かってその反作用が訪れることになります。

例えば、誰かに素敵な物を与えれば、与えられますし、他人が大切にして入るものを奪えば、奪われます。

これは、物理学者・数学者のニュートンが作用・反作用の法則として解き明かした基本的な概念です。

作用・反作用という物理学の法則は、人生の全てに当てはまる!?

それが単に物に加わる力の作用だけでなく、人の心や運命、対人関係や出来事にも当てはまるというのが聖者達が導き出した答えです。

さらに、聖者達は人間がこの地球で生まれるのは一回限りではなく、魂が持つ不変の生命の流れがあることを教えてくれました。

魂は一つの人生を終えると別の肉体に生まれ変わり、その魂は次なる人生の旅を続けていきます。

これは過去世から今世へ、今世から来世へという形で輪廻転生と呼ばれています。

魂が今世で自分が取った行動の積み重ねによって、魂が来世に経験する運命を創造していくことになります。

つまり、神が人間の運命に関する脚本を書いているのではなく、人間が自らの行動によって蒔いた種を刈り取る作業を行っているのです。

神は、一切の善い悪いを判断しない境地にいます。そのため、人を病気にしたり、鬱状態にしたり、不幸にしたりすることには全く興味がありません。

神は、全ての人間に対して、その人自身の態度・思考・行動によって、自らの運命を決める自由を与えています。

人間の幸福や不幸は、その人自身の善い行為、あるいは悪い行為いによって方向付けられ、決定されています。

「カルマの法則」と運命において、神が人間を差別するような仕組みを作っていません。

人間は誰しも、過去世からの悪いカルマに基づいて、病気、不幸、失敗、挫折、予想もしない試練に直面するなどの苦しい体験をしています。

原因と結果の結び付きが分からないからこそ、神や宗教を全く信じていない人々の数も多いです。

でも、神や宗教に頼らなくても、大きなトラブルに巻き込まれることなく順調に成功している人生を歩んでいる人達もいます。

だからと言って、その人に悪いカルマが全くないという訳ではありません。

魂は人生を歩むに当たって、特定のテーマ、課題、学びを持って生まれて来ています。

そのため、その学びを体験することがまず優先されます。

母親であれば、子供を育てることに焦点が当たる人もいるでしょうし、経営者であれば、事業を軌道に乗せることに焦点が当たる人もいるでしょう。

何事も、然るべき時期に、然るべきタイミングで、完璧に物事が生起しています。

その法則を司っているのが、神という存在なのです。

魂は生まれ変わり続け、次に生まれ変わる時に、過去世からのカルマに基づいて良い運命や悪い運命に直面していきます。

しかし、この生まれ変わりの循環が終わるチャンスがあります。

それは、悟り、解脱と呼ばれるもので、そのための重要な鍵を握っているのが、「自分とは本当は何者なのか?」を考察することです。

この内的探求を深めていくうちに、やがて、自分の魂は、直接、神とつながっていることを体感します。

あるいは、「自分=内なる神そのもの」であることを理解します。

神は遍在していますから、「内なる」とい形容詞はあってもなくても構いません。

しかし、クリシュナ・シヴァ・サラスワティ・ラクシュミなどのカルマの穢れの影響を受けない世界に住んでいる人格神も存在するため、敢えて「内なる神」「真我」「ハイアーマインド」という表現を使います。

そこまで理解が深まると、「肉体という衣を纏って人生を生きる」という魂の学び、すなわち輪廻転生は終了します。

自らの魂と内なる神は永遠に統合し、カルマの世界を脱却して至福の世界に存在することになるのです。

これは、外科医・国連職員・大統領など肉体を授かっている時にどんなに重要な役割を担っていたとしても、全ての魂に与えられている最終目的です。

縦軸のレベルでは、人間は悟りを得て苦しみから解放されるため、あるいは、輪廻転生から解脱するために生まれてきます。

全ての魂は、この現実社会という荒々しい波動の世界から卒業するための長い旅路に出ているのです。

生きながらにして、この世を卒業できた人を、仏陀(=目覚めた人)、覚者と呼びます。

現実社会でどんなに必死にもがいても、所詮は幻影(マーヤ)であり、実体がありません。

つまり、諸行無常で絶えず状況が移り変わっていきます。

自らが、悟りを得て、目覚めた人となった時、あらゆる不安と恐れは溶けてなくなります。

完全な心の平和を手に入れるため、何が起こっても動揺しません。

ナイフで襲い掛かられたり、ピストルの銃弾で脅された場合は、(過去の記憶と感情に影響される)肉体は反応することもありますが、心は常に穏やかで外側の状況に振り回されることがありません。

すると、今この場で行うべきことを徹底的に取り組むことが可能となります。

囚われがなくなると、「今」という瞬間に居続けられるため、何事も全力集中して最善を尽くすことができます。

横軸のレベルでは、こうして、目覚めた人として現実世界を思い切り味わう、打ち立てた目標を達成する、人生で与えられた課題をきちんとこなすことが可能になるのです。

決して、虚無主義になったり、この世を冷めた目で見て、世捨て人のようになる訳ではありません。

むしろ、宇宙とつながった自由自在の心を手に入れた訳ですから、何事も失敗を恐れず全力投球することが出来ます。

インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」の記述にある通り、

行動の結果に執着しない 結果を行動の動機としない

という心の境地にたどり着けるのです。

この時、現実世界を、ゲーム感覚ように軽い気持ちで、最高のパフォーマンスを発揮することができるのです。

折角の人生、縦軸の魂の成長と横軸の現実世界の両方を楽しめるようになりましょう!

そのためには、まず心が自由な状態にあることが必要不可欠です。




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